*** 鳥獣保護管理員の落書き帳 ***

鳥獣保護員・エトロフ小林の 『落書き帳』 第4回 嵐のような一日(後編)
ごきげんよう。エトロフです。

さて、箱に収めたクロアシアホウドリを、はるか(でもないか?)茨城県の波崎海岸まで連れて行くのですが…

 波崎海岸へのドライブは普通、楽しい。目的地でどんな海鳥に出会えるかという期待に加え、途中の寄り道がまた魅力である。とにかく利根川沿いのあちこちに、季節に応じた探鳥ポイントが点在するのである。ある時はシギ・チドリ類、夏ならコジュリン、オオセッカ。そして今なら猛禽類! ワクワクドキドキが止まらない道なのである。

 しかし今回は、ワクワクなんて気持ちにはとてもなれなかった。ひたすらドキドキ、それも、いつもとは違うドキドキの連続であった。もちろん、寄り道なんてできやしない。
 

 例の箱は車に積んでからずっと、ポルターガイストのようにカタカタと音を立て続けていた。出発前、「音がしていれば生きているってことですから、安心ですよ」と東部環境管理事務所のT.S氏は笑っていた。確かにそうなんだが…どんな気持ちで音を立てているかが、問題だ。どこか痛いのか苦しいのか、不安に駆られて、じっとしていられないのか? いずれにせよ「ドライブ、ドライブ、楽しいな♪」でないことだけは、確かだ。そんなことを考えると、こちらまで息苦しくなってくる。

 仲間は、といえば…淡々と運転を続ける越谷の貴公子。「どうしようもねぇな!ガッハハハ!」と普段と変わらぬ豪傑笑いのN氏。箱に閉じ込められたような息苦しさを感じているのは、小心者のエトロフだけらしい。

 箱が音を立てていないことに気づく。いつごろからだろう? 落ち着いたのか、疲れたのか、それとも? 「音がしていれば生きているってことですから」という言葉がひっかかってくる。「おーい、お元気ですか…?」と、箱に貼ったガムテープの端をそっと剥がすと…わずかな隙をついて嘴の先端が飛び出す。おっかねぇ!だけど、とりあえず元気らしい。ひと安心。その後しばらく、ポルターガイスト状態が続くが、ふと気がつくと音がしない。気になって覗こうとすると、嘴が飛び出す。これを何回繰り返しただろうか? 約3時間の息苦しく重苦しいドライブの末、ようやく目的地に着いた。

 コンクリートの岸壁に囲まれた波崎新港の波打ち際に、箱をおろす。ガムテープを取っ払ってふたを開ける。クロアシアホウドリが、そろりと出てきて、あたりを見回す。小さな声で「ウ、ウー」と鳴く。自分の置かれた状況がわからないまま、一歩一歩、水辺に近づいてゆく。脚が水にふれると、その巨体をごく自然に水面に浮かべた。両脚を静かに動かして、泳ぎ始めたところで、いきなり「カッカッカッカッ」と嘴を打ち鳴らす。クラッタリング?テレビの自然番組でしか見たことがない、アホウドリ類の求愛行動である。しかしなぜ、この状況でクラッタリング? 求愛時に限らず、気持ちが高ぶると、この行動をとるのだろうか? 不安から解放され、海の水に触れたことが余程嬉しかったのだろうか? これはいまだに謎である。
   

 数メートル泳いだところで、羽ばたきを始める。よしっ! と思ったが、それほど上昇せずに、少し先の砂浜に座り込んでしまった。そのまま動かない。やはり飛べないのだろうか? 飛べなかったらどうしたらいいのだろう。追い立てて飛ばすなんて、とてもできない。何もできずに、引き下がるしかないのか?
 
 じっと見守っていた時間は、やたらに長く感じたが、十分かそこらだったと思う。いきなりのテイクオフだった。翼を思いきり伸ばして、空中に浮かび上がった。そうか、飛ぶための風を待っていたんだ。その砂浜は緩いスロープになって防波堤に続いていた。そのわずかな斜面を駆け上る微風を待っていたんだ。高く舞い上がったクロアシ君は大きく旋回し、外洋へ続く防波堤を超えて、姿を消した。
     


 こうして、嵐のような一日が終わった。我々ができることは、全部やった。あとはクロアシ君の生命力次第だ。 とはいえ今でも、大洋のどこかを元気に飛んでいることを願う。

 「あ~よかった!箱を開けてグッタリしてたら、どうしようって、オレ、生きた心地しなかったよ~」とN親分。なんだ、私と一緒だったのか。
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